更 新 日 2011.8.25

院長挨拶



 当院は昭和38年に小石哲夫が当地に皮膚科専門医として開業致しました。その当時は、まだ皮膚科の専門医が開業しているところは少なく、患者さんも何をする科なのかが分かていなかったようで、外科などの専門医でないところで診察を受けていた時代でした。しかし皮膚の病気は皮膚科専門医で受けるというのが一般になってきた頃から患者さんが非常に多くなってきました。
 平成2年からは私が10年間勤めていた京都府立医大附属病院皮膚科を辞め父の後を継ぎました。
 皮膚の病気は慢性の物が多く根気強い治療が必要なのですが、病院などは仕事や学校を休んで行く必要があるため、開業医はそう言う意味で対応しやすいと考えております。しかし、開業医では対応が出来ない検査や治療もあり、そのようなときには適切な医療機関に紹介しております。
 当院の診療は患者さんに病気のことを良く理解していただき、治療していくようにしております。私自身納得がいかないことは、なかなか熱心に出来ない性格なので、患者さんにも納得していただいて治療をしていただくようにしております。 


院長: 医学博士 
小石和夫

日本皮膚科学会認定 皮膚科専門医

日本皮膚科学会会員、日本臨床皮膚科学会会員、日本接触皮膚炎学会会員


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小石医院沿革



初代 小石 李伯
                          、
二代 小石 元俊 (1743年〜1808年) 徳川吉宗(8代将軍) の時代に生まれる。安永6年(1777年)から京都、 天明8(1788年) 
                        から寛政8(1796年)まで京都大火のため大阪にうつる。1796年(寛政8年)京都に戻る。
                        1799年(徳川家治(10代将軍)の時代)医学塾究理堂を開設
三代 小石 元瑞 (1784年〜1849年)

四代 小石 中蔵 (1817年〜1894年)

五代 小石 第二郎(1850年〜1908年)

六代 小石 暢太郎 (1881年〜1944年)

七代 小石 巌    (1917年〜1946年)


1796年(寛政8年)初代小石李伯の息子二代目元俊は、京都市中京区釜座通竹屋町下る亀屋町335番地(本家www.koishi-i-in.com)に移り、
1799年医学塾究理堂を開設しました。以来小石家は、代々医をなりわいとし、今日に至っています。
 
二代目元俊は、杉田玄白、篠崎三島、慈雲飲光らと親交を結びました。その子三代目元瑞の時代には、門弟は、遠く越後や越中からもやってきたそうです。
三代目元瑞は、緒方洪庵、頼山陽、田能村竹田ら医者・文化人と親交がありました。
彼らの医学は、漢方に飽き足らず、関西ではいち早く蘭学を取り入れ、親試実験の気風に富んでいました。
四代目中蔵は、幕末に種痘の普及に功績がありました。究理堂は、明治の半ばまで続きました。
五代目第二郎は、明治初年長崎オランダ医学校で学び、東京帝国大学初代学長長与専斎と親交がありました。
六代目暢太郎は、宇和島市民病院2代目院長を務めました。
七代目巌は、京都帝国大学で学びましたが、第2次世界大戦後に若くして病没しました。

父小石哲夫は七代目巌が亡くなった時すでに家を出ており、後を継ぐつもりもなかったため分家となり昭和38年に病院勤めを止め桂で皮膚科を開業いたしました。

平成2年から小石和夫が哲夫の後を継ぎ皮膚科を開業いたしました。

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